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スキャニングによるデータ化、デジタル化と省スペース化で大学の将来に備える

大学が置かれている環境は年々厳しくなってきています。その根本には長く続く少子化の影響により学生数が減る一方であるとか、近年のコロナ禍で、突然リモート授業の導入をしなければならないとか、どちらかというと後ろ向きの話題が多くなってきています。

本来、知の追求という最も最先端を行くべき大学が日本特有の様々な制約によって、海外の大学と比較して非常に立ち遅れて、古くこびり着いたようにアナログな資産というのが残ってしまっている状況もあり、学問の府としてあるべき姿を失いつつあります。

その厳しくなる一方の大学の経営環境を変えるべく、様々な試みや施策が行われていますが、今回はその厳しい環境の中でデータ化、デジタル化、特にスキャニングによるデータ化、デジタル化がどのような局面に活かせるのか見ていきたいと思います。

学生数の状況

まず、大学の最も基本的な指標である学生数について状況を見ていきます。

まず現役の受験生である18歳人口は、1992年の205万人をピークに減少し始め、2010年代には120万人前後まで落ち込みました。そこからしばらくは大きく変化しませんでしたが、2018年度から再び減少し始め、2021年度以降は毎年2万~3万人のペースで減少しています。1992年の18歳人口と比較すると、2021年度ではすでに6割未満に減り、2024年度には半数にまで落ち込む見込みです。

一方の大学志願者数をみると、2021年度は約66万人でした。大学志願者数がピークとなっていた1992年の92万人と比較すると7割ほどにとどまっており、「18歳人口の減少ほど大学志願者は減っていない」状況です。ただ絶対数としては減っていますし、日本の経済環境が高卒での就職状況がずっと低調だった為、結果的に高校卒業後に大学進学を志望する人の割合が高まったためです。

出生率も減る一方ですので、今後もこの学生の数が改善する見込みは残念ながら立たない状況です。

学生数が減っていく、そもそも少ないということの問題は大学の経営にとって非常に大きなダメージです。純粋に授業料という大学の収入の大きな柱がどんどん削れていっている状況です。

全入時代と言われつつありますが、全入で済めばまだマシと言えます。近い将来日本全体の大学の募集人数より受験者数が少ない状況になりかねない状況です。それはつまり学生が全く集まらない大学が現れる可能性があるということです。つまり会社で言えば倒産と同じ状況でしょう。

またこの学生数が減る、つまり授業料収入が減っている状況というのは、授業料の値上げのプレッシャーが高まるという負のスパイラルが始まってしまう可能性も生み出してしまいます。授業料が値上げされれば、金銭面から進学を諦めなければならない人が増えてくるということですので、社会の分断を促進させてしまいかねません。

早晩、大学の選別は否応にも進められることになります。その為にも大学の魅力を可能な限り高めておかなければなりません。

授業料減少に対する対策

授業料収入の減少に対する対策は、基本的に2つしかありません。単価を上げるか、人を増やすかです。人を増やすというのは、授業料を払ってくれる人を増やすかということです。

「単価を上げる」はつまり授業料の値上げということですが、前述した通り、負のスパイラルを始めてしまう可能性が高いだけにあまり良い施策とは言えません。政府もこの辺りには敏感になっていると思いますし、政治的にも中々簡単に行えるところではないでしょう。

そうすると授業料を払ってくれる人を如何に増やすかということになります。ただ若者人口は減るばかりでそこには期待できません。その他のところをに着目しなければなりません。

それに対する解答の一つとして、社会人講座やMBA講座を新設があります。これは大学を出た社会人の学び直しや更なる専門性を高めるための学びの機会を作ることで、大きな意味での学生数を増やす効果を狙う対策です。

特にMBAなどの専門性の高い講座については、その専門性の高さゆえに価格が高くても納得性があるというメリットもあります。つまり単価を上げるという対策も狙えるということです。

高い専門性を提供する為には、それをきちんと教えられる基本的な準備も重要ですが、もう一つ重要な要素があります。それは教える場所です。大学はその昔地価の高騰の影響で積極的に郊外にキャンパスを移転させていきました。

もし仮にその郊外でMBAの講座を提供しても、働きながら学ぶことを目指している社会人からすると、勤務している場所から遠くなってしまう為、時間のロスが大きくなってしまい選択肢として選びにくくなります。このところ、大学の都心回帰の動きはボチボチ見られますが、その狙いの一つはこういった社会人をターゲットに入れていることも一因だと思います。

ただ都心にキャンパスを建てるとなると、郊外のように広い土地を確保するのは中々難しくなります。高いビルを建てるというのも一つの選択肢ではありますが、そういう対策を取ったとしても省スペース、もしくはスペースの有効活用ということが今まで以上に要求されることになるでしょう。

その時には、今までは広いスペースのおかげで放置できていた古い資料や論文なども保管する場所がなくなってしまう可能性があるわけです。その時にスキャニングによるデータ化、デジタル化というのは非常に有効な手段となりえます。

近年の特殊事情

近年の特殊事情も大学の経営に大きな影を落としつつあります。

近年の特殊事情といえば、何と言ってもコロナ禍です。これも大学に非常に大きな影響を与えました。一時期はそもそも学校に行くことすらままならない状況になり、そもそも大学の基本的なサービスである授業を提供できない状況にさえなりました。そう言った中、苦肉の策で無理矢理リモート授業が始まりました。突然始めなければならなかった為、まさに試行錯誤の連続で、コロナが最盛期の時期の当事者の学生たちは非常に可哀想で、同情を禁じ得ない状況でした。

今現在、一時期よりはコロナが収まりつつあり、通学も従来の状況ぐらいまで復活できている状況にはなってきました。ただ完全に収まったとは言いづらい状況ですし、今後コロナようなパンデミックの状況が発生することにどのくらい大学として備えておくかという非常に難しい課題を突きつけられていると言って良いでしょう。

リモート授業

緊急避難的に行なった割には、リモート授業という形態自体にポジティブな面もあることが今回のコロナ禍で幸いにも分かってきました。そのことは今後投資としてリモート授業が取り入れられやすくなったかもしれません。

ただリモート授業については、まだまだ教授などの教える側の方々の裁量に任されている部分が多くあり、その質はばらつきがあるのが現実でしょう。デジタルに馴染みやすい学問の分野ばかりではないということもあるかもしれません。そういう意味では、まだまだリモート授業をシステマチックに提供することは難しいかもしれません。

ただ、時代としてリモートワークという働き方は少なくとも定着していく流れは変わらないでしょう。そうである以上、その影響は早晩受けることになると思います。その時に向けてできるだけ早くどのくらい準備ができるかが、大学が生き残れるかどうかの一つの重要な要素になるかもしれません。

リモート授業をシステマチックに行うのであれば、ハード面も含めたシステムの投資だけではなく、大学の長い歴史で蓄積してきた論文や資料をどうデータ化、デジタル化し、リモート授業に活かしていくかという周辺環境へもそれなりの投資は必要になってくることは間違い無いでしょう。

その時の第一歩としてスキャニングによるデータ化、デジタル化は有効であると思います。古い論文などは紙ベースで保存されていることでしょうし、大きさもスキャニングに適したサイズのものが大半のはずです。

物理的な資料については写真などでとりあえずデータ化、デジタル化するか、もしくは3Dスキャンのような手段でデータ化、デジタル化できるかもしれません。

大学経営に対しての厳しいチェック

大学は前述しているようにその経営環境は年々厳しくなってきています。ただ国の教育の根幹を担っているところでもあるので、その経営のあり方ということについても厳しい目が向けられるようになってきました。

中には企業経営のような効率性や費用対効果といった投資判断のような見方もされるようになってきています。何か具体的な目的や利益の追求だけを目指すなら、企業と何が違うのか、という気が個人的にはしますが、社会全体的に視野が狭くなって矮小な目的に陥って即物的な視線を向けられてしまっているのでしょう。

大学が本来持つべき自由な精神性と学問の裾野の広さの確保という少し難しい話になってしまうので、効率性や費用対効果で考えることの是非は措いておきますが、事実としてそういう厳しい視線があるということです。つまりあまりに非効率なことを放置できない状況であることは間違いないと言えます。

例えば、整理されていない大量の資料がゴミのように放置されているなどは純粋に経済経営的な問題だけでなく、学問的にも非常にもったいない状況と言えます。近年の論文については、時代の最先端の担い手たる大学ではデータ化、デジタル化されていますが、古い論文などもそうでしょう。

そういった本質的に問題のある部分は、スキャニングなどによるデータ化、デジタル化で整理していった方が良いはずです。

大学の存在意義として資料の公開

大学の経営という側面ばかりだけでなく、社会的な意義という面でもスキャニングによるデータ化、デジタル化は大きな効力を発揮します。

歴史の長い大学が持っている膨大な研究データは、本来広く共有されるべきものです。近年ではメタアナリシスという考え方もより一般的になってきていて、出来るだけ多くの似たデータを収集することにより、研究の裏付けに活用する、もしくは研究の反証の手段とすることも広まりつつあります。

古い紙資料などのアナログなデータ資料は、長い期間の時系列的なデータ群を形成できる可能性が出てくるなど、非常に意義深くなる可能性があります。そういう意味では、大学のアナログ資料は相当なポテンシャルを持っていると言っても良いでしょう。

特に日本の大学は人的なリソースが慢性的に不足しているのと、予算が相対的に見て少ないことから、アナログデータのデータ化、デジタル化という純粋な単純作業というものにリソースを割いてこなかった経緯があります。これは大きな社会的損失と言って良いと思います。

まとめ

今回は、帰路に立つ大学の状況に対して、データ化、デジタル化が貢献できる部分はないかについて考えてきました。

20年前にピークを打った若年層の人口は減少する一方です。その人口減少という即効性の対策がない問題が根本にある大学の難しい状況は、この先も当分の間は好転することはないでしょう。まずは、大学の経営を安定させる為に、ある程度金銭的にも体力的にも余裕のある世代の社会人に学び直しの機会を提供するなどの対策で、大学の延命を計っていくしかありません。またリタイアした世代も時間を持て余している人が多くいると思います。そういう方々も巻き込めれば日本の人口のボリュームゾーンを掴むことができます。

リモートワークやリモート授業の普及により場所を選ばずに仕事や学習ができるメリットを再認識した今日において、それを実現するための最低限の作業として、資料のデータ化、デジタル化は必須です。少なくとも授業で提供する資料であれば、スキャニングによるデジタルデータで十分に訴求力を出せるはずです。

また経営環境の厳しさが増せば、自ずと厳しい目が向けられることになります。費用対効果という考え方が馴染まない大学という組織ではありますが、それでも理性的に考えて無駄な部分ということを削ぎ落としていくことは要求され続けるでしょう。その為にもスキャニングによるデータ化、デジタル化で対策できるところから対策していくべきではないでしょうか。

大学の社会的な意義という意味でも、大学がポテンシャルとして持っている古いアナログな研究データは実は大きな宝となり得る可能性があります。これらを広く社会にスキャニングなどにより公開することは、大学の基本的な義務と言って良いでしょう。